今日は、「人を責めたくなったとき、どうしてる?」というテーマでお届けします。
私はこの1年半の間、立て続けに心理関係の講座を受けています。たとえば、今年の9月からはまる尾恭子さんの「イラ卒6ヶ月講座」を受講し始めました。
学びを続けている理由は、主に3つあります。
・人をサポートする仕事をする上で、心の学びが必要だと感じた
・心理学の講座で心のことを学んで、自分の心にも寄り添う必要があると気づいた
・子どもが大きくなってきたので、今後の自分のことを考える時間を取りたくなった
からです。
今受けている「イラ卒6ヶ月講座」では、毎日の日報を通じて、感情の揺れや動きに気づきやすくなりました。
そして、今の自分の感情の揺れ動きが、過去の経験に紐づいていることが実感としてわかってきています。
私は子どもに対して、強く責めるような言い方をしてしまうことがあります。
「早く幼稚園の準備してよ!」、
「もっときれいに片付けて!ゴミはすぐ捨てて!おもちゃはこっちでしょ!!」
そこまで言わんでも…というくらい口調がキツくなって落ち込む感じです。
そのときの心の動きを深く掘り下げていくと、私自身が、「自分のことは自分できちんとやらなくちゃ」と自分を追い立てていたことに気づきました。自分に課していることを、息子に課してしまっていたのです。
まるで「息子も自分のことは自分でやるべきだ。できるようにさせないと。そうしないと、この子が困る」と思っていたかのように。
私に限らず、「ねば」や「べき」に縛られるとしんどくなるものです。
でも、自分の中に「ねば」「べき」が生まれるのにも理由があります。
私の場合は、「自立しないと自分が望む環境に行けない」と思うようになった過去のエピソードがありました。
「そうせざるをえなかった」「あの時はそう捉えていくしかなかった」という視点で
自分の中にある「自分を縛っているもの」「思い込み」「無自覚な信念」を紐解いていくと、「あ、私をがこう考えるようになったのは、これがきっかけかも」というエピソードがあることに気づきます。
私は今、当時のエピソードを思い出しながら、
頑張っていた自分に「苦しかったね。頑張ったね。もう、大人の私がなんとかしてくれるから大丈夫だよ。」と心の中でヨシヨシしています。
誰かを責めたくなった時は、もしかしたら、自分の中にある何かが悲鳴をあげているのかもしれません。
<なかがみ近況>
今週、お休みの日にYouTubeをたくさん見ていました!
私がどんどん見てしまうチャンネルの共通点は「変化」です。
たとえば、最近見たものでおすすめのものは「古堅式 片づけの新常識で あなたの暮らしをランクアップ!週末ビフォーアフター」です。
(毎週金曜日、必ず見てます)
https://www.youtube.com/@Before-After
自分たちではどうにもできなかったお部屋が、片付けのプロの手によって大きく変化する様子が見ていて気持ちいいです。
(※なかがみメルマガ88号より 2023/10/16 配信)